<モノガタリと歴史>
ひと昔前、「愛は地球を救う」なんて、よく言われていました。でも最近は
あまり聞かれなくなってしまいました、なぜなのでしょう。割と簡単な
ことです。「愛」も「心」も、人間の認知能力を超えた、とても難解なものだ
からです。
それらに比べれば、「モノガタリ」は、はるかに明解です。
「モノガタリ」は、「心」そのものではないですが、「心」を直接に反映した
何物かであることは確かです。だから「愛する」ことの意味は分からなくても、
「相手の固有のモノガタリ=相手のナラティヴ」を見詰めることで、
人間はある程度、相手の「心」を理解し、「愛」を語れるのです。
ここ四百年ほど、世界は「近代合理主義」の思想の影響下にありまし
た。それは、「心」や「愛」を無視した、生命全体を不幸に陥れる思想でし
たし、ひいては人類自体を滅亡に追い込む思想でもあると言えます。
早急に「心」や「愛」を中心にした、つまり「モノガタリ」を中心とした思考
へと軸を移さなければ、人類の未来はないでしょう。
<核兵器と現代>
第二次世界大戦が終わって79年が経とうとしていますが、いまだ往時の
「常識」を振りかざす人がいます。それは「通常兵器も武力だ」という「常
識」です。
核兵器は通常兵器に比べて一千万倍の威力があります。この圧倒的
な威力の差に目をつぶって「平和」を語るのはナンセンスです。
現代においては「核兵器」だけが「武力」であり、「通常兵器」は、「警察
装備品」または「保安装備」と、考えるべきでしょう。
<平和憲法と核兵器>
「通常兵器は警察装備品である」と解釈すれば、日本の現在の憲法の
「戦力非保持」の原則も守れていますし、防衛予算の倍増も、決しておか
しなことではない、と分かるはずです。
今の時代は、「近代」から、次の時代(僕はそれを個人的に「新生代」と
呼んでいます)への過渡期です。けれど、いまだ旧態の「古い近代国家」
が幅を効かせています。これらの「近代」の断末魔とも言える状態から身
を守るためには、ある程度の「警察装備品」は、どうしても必要なのです。
そのことをはっきりさせた上で、改めて「平和憲法堅持」の姿勢を貫き、
積極的に世界平和に貢献していくべきだと、僕は考えます。
<国際連合と平和>
ウクライナ戦争やイスラエル動乱を見ていると、今の国際連合には、世
界の平和を維持する力がないことは、もはや明らかだと思います。ウクラ
イナ戦争ではロシアが、そしてイスラエル動乱ではアメリカが拒否権を発
動しています。
「国際連合」は第二次世界大戦の戦勝側である「連合国」が戦後処理
として、作った組織です。そして、実は国際連合では、日本はいまだに、
「敵国」扱いなのです。つまり国連というのは79年前の国際関係を保っ
たままの、古いシステムと言えるのです。
最も問題なのは、「五大国の拒否権」というルールです。
アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の五大国のうち、一つでも
総会決議に反対すると、その案は廃案になってしまうのです。
国際連合の五大国は、核武装の度合いも、上位五位を占めています。
これらはみな「古い近代国家」です。彼らに世界の舵を取れないのは明ら
かです。彼らはおしなべて、「自国の力さえ伸びればよい」という、近代国
家のナラティヴ(その国特有のモノガタリ)を持っているからです。
<非核同盟>
このような観点から、僕は「非核同盟」を立ち上げることを提案します。
非核同盟の盟主はもちろん日本です。日本にはそうなるべき歴史的役割
があります。とりあえず6つの理由を挙げておきます。
① 唯一の被爆国であること。
② 新しい時代を引き寄せる「モノガタリ」大国であること。
③ 平和憲法を持っていること。
④ 同盟各国とともに、経済発展していく力があること。
⑤ 他国家に対して基本的に差別意識がないこと。
⑥ 特定の宗教の影響が薄いこと。
これらを勘案すれば、日本がリーダーシップを執って平和の
旗を振らなければ、世界が奈落の底に落ちて行くのは明らかです。
<ヒロシマ・ナガサキ>
非核同盟の本部は、もちろんヒロシマ・ナガサキに置くべきです。
ヒロシマ・ナガサキは、「人間に向けられてはいけない」はずの
核爆弾を浴びてしまった悲しい被災の地であると同時に、核廃絶に
向けての『聖地』でもあるのです。
その意味で、ヒロシマ・ナガサキは、新しい時代へと向かう、
人類の出発点になるべき場所だと、僕は確信しています。
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モノガタリと人間の関わりについては、この下の「存在とナラティヴ」
を参照してください。少し長いですが。
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